あれから7年…

震災から半年後の実家近くの港の写真
実家近くの港の震災から半年後の状況。倒れた電柱もそのままになっていました

もう7年も経ったのか−、というのが正直な感想です。震災とはまったく違う文脈で、被災地近くに5年間にわたって、月に1〜2回通い続けたという妙な経験は、長いようでもあり、あっという間でもありましたです。

実家の近所の方から、うちの母親が認知症っぽいよという連絡を受けて、茨城県にある実家に久しぶりに帰ったのが、2011年3月5日でした。それから一週間も経たないうちにあんなできごとが起ころうとは想像もできませんでしたね。水戸の千波湖のコクチョウから鳥インフルが見つかった、とかが唯一そのあたりで気にかかるニュースだったことを覚えています。

実家のあった町も沿岸部は津波の被害に遭いましたが、実家自体は高台にあったし、電話は向こうの声は聞こえるが、こちらの声は届かないという状況で、一応、無事であることは確認できていたので、それほど焦らず、JRが復旧するのを待って、4月22日に状況を確認しに帰りました。

そこで「地震なんかなかった」という母の衝撃的なひとこと以降、一昨年に母が亡くなるまでの5年間、とくに在宅での介護となった最初の3年間は、ほんとうにドタバタの日々でした。

たまたま震災のあった頃に、母親が認知症になってしまったという、ほんとうに妙な巡り合わせで、被災地近くに通う日々を送ることになったわけですが、取材の仕事などで、いわき市や石巻市、仙台市などの被害が甚大だったところにうかがったこともありますので、そうしたところで被災された方から見たら、なに呑気な話してんだよ、という類の話であることは重々承知のうえなのですが、個人的には十分に大仕事ではありました。

しかし、もう、7年ですか…。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。